<ruby>優<rt>やさ</rt></ruby>しくあたたかな<ruby>太<rt>たい</rt>陽<rt>よう</rt></ruby>さんが<ruby>優<rt>やさ</rt></ruby>しい<ruby>詩<rt>うた</rt></ruby>・<ruby>愛<rt>あい</rt></ruby>の<ruby>詩<rt>うた</rt></ruby>・<ruby>優<rt>やさ</rt></ruby>しい<ruby>愛<rt>あい</rt></ruby>の<ruby>詩<rt>うた</rt></ruby>をうたう

O K A G I R I / B O O K S T A N D

おかぎりの / ほんさん 




ちょしゃしょうかいいわ おかぎり)

ナンバーて、いろいろやまとうさきばくくうくうろん
ていきょうこうこうせいえいしゅじゅけんべんきょうほうどうじゅう

<ruby>岩<rt>いわ</rt>田<rt>た</rt></ruby>おかぎり・<ruby>精<rt>せい</rt>神<rt>しん</rt></ruby><ruby>保<rt>ほ</rt>健<rt>けん</rt></ruby><ruby>福<rt>ふく</rt>祉<rt>し</rt></ruby><ruby>手<rt>て</rt>帳<rt>ちょう</rt></ruby>の<ruby>更<rt>こう</rt>新<rt>しん</rt></ruby>のために<ruby>撮<rt>さつ</rt>影<rt>えい</rt></ruby>した<ruby>証<rt>しょう</rt>明<rt>めい</rt></ruby><ruby>写<rt>しゃ</rt>真<rt>しん</rt></ruby>(<ruby>平<rt>へい</rt>成<rt>せい</rt></ruby>20<ruby>年<rt>ねん</rt></ruby>3<ruby>月<rt>がつ</rt></ruby>25<ruby>日<rt>にち</rt></ruby>(<ruby>火<rt>か</rt></ruby>)<ruby>撮<rt>さつ</rt>影<rt>えい</rt></ruby>)
しょーもないことにかんしょうもうさせながら、とりえってったら、ねこりたいくらいインドじんまがいの30だいおとこ。イチローとおなどしのイチローとおなあいけんしゅっしんである。かたや10おくえんプレーヤー。かたまいつきほんいくえいかいしょうがくきんへんかんでぜいぜいってます。りたものはかえそうー! おー!
ちでもあるな。とうごうしっ調ちょうしょういんせいじょうたいおちいったときに、びょうこうちがうからと、あんこううつざいしょほうしてもらえないのがじょうにつらい。
えるしかないのね。じんせいくるしいものなの。はやれるのよ」
しゅうかんてんせいひゃくばいす。なにごともならいです。
げんざいところ、メインのくすりはジプレキサです。セレネースもながいこと使つかっていた。すいみんどうにゅうやくしょほうされている。
くすりだけでもたんをかけているので、かんぞうわるいからとほぼきんしゅ。タバコもいません。ゴルフもしません。パチンコもしません。ゲームもしません。テレビもほとんどません。たいふうしゅうらいや、しんこるとるくらい。

1973ねんあいけんいちのみやまれる。
1992ねんあいけんいちのみやこうとうがっこうえんげきそつぎょう
1999ねんりつめいかんだいがくこうがくぶつがくていそつぎょう
2001ねんりつめいかんだいがくだいがくいんこうがくけんきゅうすうがくせんこうちゅう退たい
ほんみょう いわ ますなお
またのを Hillmist Okagiri Iwata Rockfield Masunao Trucere。
しょうモラリスト。
ただいまぎんゆうじんとしてしゅぎょうちゅう





そのほかのさくひんこうかいしたざつぶん

ちゅうさん ・はんノートにさいべんきょうについて①(おもじゅけんせいについて)」

できるだけ「よいせい」をせんべつしようとするだいがくあつりょくのために、ちゅうがくせいこうこうせいくるしんでいるのは、おかしなはなしべんきょうはそもそもおもしろいものだというはなしだいがくけんきゅうかんであるならば、せいぜんいんを「よいせい」としてそだてるのにはどうすればいいかをけんきゅうし、きょういくのありかたえるべきだというはなしいまでもほんこくみんぜんいんとうきょうだいがくごうかくするくらいにてきのうりょくばすにはどうしたらいいのかをほんあんしている、そのしゅっぱつてん
げんぶんかわきよしせんせいかんしてくれているとおもわれる。

そつぎょうぶんしゅうりっのとき(きゅうだい けつべつけつちゅうけつ)」

りっしきしたさんぶんあいけんいちのみやのローカルネタあり。とうてつどうれっしゃはしらせていた。かいからひとはさすがどいなっていたんだかいないんだか。
ぜんぶん

なつやすみだったのだろうか。まだまだほっぺのあかかったころだ。はんかうでんしゃなかで、ぼくはぶらがっているこうこくていた。
「けいりん」のこうこくである。いついつどこでやりますよ、といてある、そういったたぐいのものだ。くるまけるときよくみみにする。
「そうか、きょは“けいりん”があったのか」
いとことあそびにきたかえりにいてくことになって、なんにちまるていになっていた。だからそのしゃないには、ふたのぼうずと、きゅうふたむすかかえることになったがいた。ぼくがそちらのほうばかりていたからだろう。「あれ、なんだかってる」とわんぱくどもにもんだいしたのは。
かれかんがんでいた。はんけいりんじょうなぞないのだからかたなかろう。
だが、ぼくにとっては、さきからきょうしんしんながっていたことなのだ。しょう便べんをどれだけばしたかでもきょうそうしたがる、そういったなか、そういったとしごろだったのだ。とうぜんとくかおこたえていた。
くるまんで、じゅうたいになることでしょ」
らないことおぼえていくなんて、そんなかんじだったのだ、とおもう。
がいこくもそんなふうせっしていけるのがいちばんいいのだろう。もしべんきょうするということが、らないことをっていくことなら、ぼくはこれからもずっとべんきょうしていきたいとおもう。そして、これまでまなんだこと、おしえられたことにこたえていきたい。ひとひとこたえていかなければならない、などと、いまおもっている。


こういち ・ないえつらんべんきょうについて②(おもべんきょうかたについて)」

そのころぼくきうるさいこうべんきょうかた。ただしこうこういちねんせいは、がくしゅうはんすうがくもんだいなら、だいがくにゅうひょうじゅんもんだいたいおうのうだが、えいしょ使つかってたどたどしくめるてい。こうすればほんあやつっているのとおなじように、えい使つかえるようになる、とはだんげんできなかったよわさがある。
げんぶんこしあきさんがかんしてくれているとおもわれる。

    ・しょじょきょく「Gaia」

じょうえんのうというこえたかかった。しかしそれでもじょうえんしたいというこえたかかった。ねつれつなるかんせいふるえるたましいきさらはるさんにささきょくとして、だるまさんさんさくだいさんたる。

こう ・きょく「だるまさんがころんだ」

たいかいにゅうしょうけんたいかいしゅつじょうするもけっとしてかいあくしてじょうえんしたため、さくひんのよさをなくしにゅうしょうせず。ぶんなりのえんげきかんをまだきずいていなかったとうざつおんまよいのためいいタクトがれなかった。もちろんせいしんてきやまいしのっていたためでもある。だるまさんさんさくだいいちたる。

    ・きょく「Tear DARUMASANN GA KOWARETA」

くうかんかんこうせいしたじゅつさくひん。ひとまずぶんしばとはなにか、にこたえをした。はせひろいちさんとひでさんのようつよし。きょうせいしんきょうはくからいえをし、そのかつどうおもうようにかなくなって、せいしんびょういんかよう。さいしょしょほうされたくすりふくやくしたところふつかんねむりこけ、めたちょくからだっいきおいでそれまであつめていたざいりょうをもとに、いっきょげる。だるまさんさんさくだいたる。

こうさん ・とう稿こうしょうかいというのラヴソング」

たんぺんしょうせつがみけいしきだいいちばん」につづくものとなるさんぶんしょうかいかたちりたラヴソングである。「あいだろあい」。
ぜんぶん

―どれもたようなのに、なくならないね。―

へんなところでちたがるんですよね。じっさいひどいずかしがりさんなのに。わっているね、とわれるのをいつもたいして、なにとくべつられるように、ずっとしてきた。たんにんせんせいに、きちんとみとめてほしかった。それが、ぼくそんざいをアピールするほうほうだった。
と、このようていしてみても、またちがうな、とかおもう。なかなかむずかしい、ただ、すごくほんじんだし、ほんかいと、よくっておだやかなかいにどっぷりかっている。ちゅうがくのとき、がねかけていて、ていて、のびがおてんけいてきほんじんじゃない、とか、うわさしているのをいたことがある。ぶんのことを、ごえで、はんぶんぐらいぼくかせるためにっているようなはなしみみにして、どうたいおうしてよいのだか、いまだよくからない。かのじょはなしは、どこにでもいるよ、といったことだった。 ―こんなやつどこにでもいるさ。けっきょく70ねんだいまれのほんじんだ。

いままったべつだいにうつるのに、こういったぶんたいはひどくつらいんじゃないか、とあんしていた。だいたいあんする、なんて動詞使つかっているところがもうおかしい。そういえは、1いたどくしょかんそうぶんを、さいしょさいだんらくがいじゅんばんえたことがある。1ぶんごとのぶん宇数をかぞえて、ぶんながさがだんだんながくなるようにしていった。もちろんつうじない。つうじなくてもいいとそのときおもっていたから。そして、ひとおどろかすのがきだから。
へんなところで…。やっぱり、いかにちゅうもくされるか、てことにぜんせいりょくかたむけてしまう。むかし、ブラックユーモアともわれた、そのころくらべれば、おとなしいようながする。としどくしょまどがいしゃぼくっていたりするのだけど、あるでとてつもなくいやらしいぶんだったりする。

まなくったっていいとおもう。あ、このつたないぶんをってことじゃないよ。(ま、このぶんだってんだってなんやくにもたないとおもうけど。)
いわゆるめいぶんだろうが、めいさくわれようが、まなくちゃいけない、なんてことないとおもう。そうぼくは、おもっている。
ほんめなかったひとや、めなかったひとだってきっといたんだし、いるんだろうし、そういったひとたちがぼくらにくらべて、それほどこうせだったともおもわない。だいたいどくしょりょうしあわせはれいしない。どくしょりょうひとがらさもれいしないとおもう。(ぶんからすすんでほんひとたちは、ほとんど、ぜんにんあいし、このましいひとたちなのだけど。)いくらんでも、からないことはからない。やくつようなことにおにかかれるようなこううんはほとんどおとずれない。むしろめばむほどあんになったりする。
だから、どくしょなんて“めんどい”なんてひとは、それでいいのだ。きっと。そのかわり、そのあまったかんゆう使つかおうね、こうこうせい活なんてあっというなのだから。と、もっともらしいことわらせるのだった。 P.S. えんげきだんいんほっしている。

ひねくれたこんじょうさんぶつである。こういったかんじでしかけないおとこを、ほんとうあわれなやつだとおもう。まともなほうほうではちできないことをっているからなのだろう。ばつほうこうへとはしりたがる。ぶんしんしんがないぶん、いたものだけでもちゅうもくあつめようと、あのこの使つかってくるのだ。じゅうぶんこころしてかからなければいけない。つぎにあげるぶんも、ひょうめんじょうさくしゃせるよわさにだまされてはいけない。かれは、このようなことはつゆともおもはず、のっぺりとへいかおでいるのだ。

ひとびょうどうのただなかまれてくる」。この1ぶんにしたぼくは、みょうあんしんかんつつまれました。すべてのいらいらがかいけつしたようなぶんになりました。こうふんじょうたいでもありました。それから2聞、あれやこれやとかんがえました。どうしようもないもの、ちからおよばないものについてかんがえました。たとえば、にんちや、ぎてかん、それにまれたかんきょうなんでもないことでした。ただ、なかひとごうのいいようにはできていない、とおもえばすむことでした。ひとびょうどうにはつくられているのかもしれませんが、おなだいおないきにはまれてこないのです。
1096ねんだい1かいじゅうぐんとしですが、そのねんせいまれたコンスタンティノープルのくつさんなんは、だいがくにはけません。そして、かれはコンスタンティノープルのそとにあるものをることがなかったでしょう。イギリスのノルマンちょうによるせいも、しらかわじょうこういんせいるところでなかったでしょう。
かいぼくです。ぼくだけのかいです。「かいちがう…」のかいしゃくかくちょうです。オーブンせんげられなかったちゅうにちてんあんもんそうこうしゃしつふされたがくせいおやともなればかんがかたちがい、ぼくえきこうないみょうなことをやりすとます。(たりまえか。)50おくにんおなかいにいるわけでもありません。じっさい、50おくひとが、いまきゅうじょうにいることをかくにんしたひとがいるわけでもありません。ぼくさいしょだいほん(1ねんせいなつ)のせりではこうなっています。
しょうじょ じょうもんだいって、ほんぢゅうぜーんぶわせても25まんにんしかいなかったんだって。そのずーと、ずーとまえは、ゴジラがうじゃうじゃいて、そのまたずーとまえは、おさかなしかいなかったなんて、そんなのうそだよね。ほねつかるっていうけどさ、ちゅうじんがよそのほしからってきたんだよ。わたしっているんだもん。きょうりゅうほねっていうのにつれてってもらったのだけど、あーんなおおきなからだしてんのに、わたし1たことないんだから。そのときやっぱちゅうじんどもが、すなあそびしてわすれてっちゃったんだ、てづいたの。え、だってちゅうじんおおきいんでしょ。ウルトラマンらないの。どもっていってもさ、おとうさんよりずーとずーとおおきいんだよ。きっと。わたしだってこーんくらいのぬいくるみってるし、ちっともおかしくなんかないもん。で、けっきょくわたしまれるまえなにもなかったとおもうの。わたしまれたときにいろいろはじまって、わたしんじゃったら、それでおしまい、てわけ。テレビやえいとおんなじで、みーんなつくばなし

なかなかやっかいかもしれない。ここまできょしょくちてくると、さくしゃにまんまとはまり、“つくばなし”でぬりかためられているのにもかず、しんじつであるかのようにおもわれるかもしれない。かれたものはかれとはべつものであり、ひょうげんされたとどうに、それはしんじつでなくなることにかなければいけないだろう。それではもう1つてみることにしよう。そつぎょうわたしたがみである。

3がつ23にち)11から「Tear」じょうえん
さくねんのOOせんぱいおなじように、1ねんおくれで、ぼくじゅけんせいになります。だから、これで、すこしのあいだやすみです。3がつ1にちは、ただしきおこなわれただけです。それでもそつぎょうしきというものに、それじょうのものがあるのなら、おめでとうございます。さようなら。またどこかでえるよ。たのしかった。そつぎょうがっこうだけしゃないんだ。鹿ろう!! いちのみやこうこうごしたかんさいりょうのものともおもわない。かえせないの。
では、23にちまくりるまでの1かんちゅうはんないじょうっているとあたまなやますことになるでしょう。わってからいしげないように。

こういうのをナルシストのがみ、というべきか。おとこいたものだとおもうととりはだつ。ちなみに、わたしがこのようなものをしょゆうしているはずがないから、アースせんぱいのところにせてもらいにった。11ぎていた。げきだんプロペリンにはいったらしく、かえりがいつも10はんごろだそうだ。ほかにもいろいろはなしをした。おとこどうが、しんひそひそはなしているのである。あまうつくしいこうけいでもない。

そう、ことにするとほんとうでなくなるがするから。
ただ、ほんとうのことがなかなかつけられないでいるのです。そんなぼくにとっては、きょうだいがくかってただがむしゃらにがんばるのは、らくなことであるのです。そして、ひょうげんするということにこまっているのです。なにかしらのうそと、なにかしらのほんとうがざっているがするのです。さんがなぜあんなしばつようになったのかがわからないでいるのです。(かんけいないか。)

こういうことかんがえるのは、ごろ使つかわないあたまはたらかすことなので、とてもつかれました。もっとしばについてけばかったな、とこうかいしています。でもま、しょうかい、ということだったから。え、しょうかいにもなってない。やだな、ちゃんとんでよ。しょうかいになっているじゃん。 わり。


こうこうせいのときのひつめいあおやまガンという。

じゅうきゅうさい ・たんぺんしょうせつがみけいしきだいいちばん

じゅうきゅうさいせいしんてきやまいとうごうしっ調ちょうしょう」のクライマックスのおとずれをげるしょうせつ。もうすこながいものをていしていたが、このながさでおさまってしまった。つづきをこうかともなんおもったが、これでかんせいしている、れるひつようはない、がいまところけつろん

きゅうがく)  やまいにこころあり

ざいがくちゅう レポートだいとう

・「きょういくげん」でのもんだい

―――「みぞ」というもの

きょういくげん」ということにまずまどいをかんじる。
ビデオのレイチェルはとう23さい。1972ねんせいまれ。ぼくは1973ねんせいまれ、げんざい26さいだいがくきょういくげんならよくっているが、こうとうがっこうちゅうがっこうとなるとそこでのいまもんだいをどうおもかべてどうあつかったらいいのかじょうくるしむ。ぼくと、この「きょういくげん」にはおおきなみぞがあるようにかんじる。
ぼくとお・かよったこうこうは、ふくめないわりずいいちしんがっこうだった。おんせいかくあつまった、いわば「もんだい」とはえんの、「できる」のがっこうである。ぼくざいがくしていたあいだおおきなもんだいといえば、ぼくしんせいしんじょうくるしんでいてこうこうねんいまごろ、2000えんていしょきんなんさつかのほんっていえがっこうて、まっただれひとともれんらくけずに、姿すがたをくらましていた「けん」だろうか。まちほうろうし、宿じゅくしていた。
こう3のときは、きょうだいがくがくべんきょうしたが、そのとしからなかったのでろうにんした。そこになにかしらのがあって、しんけいすいじゃくになって、せいしんへのにゅういんけいけんした。げんかくげんちょうせいしんあんていさにくるしんでいたが、げんかくかずしゃぼくを「びょう」とみとめたのは、1993ねんがつりつめいかんだいがくにゅうがくしきよくじつである。にゅういんをしたのはぼくさつくわだてたあと、1993ねんなつ。93ねんこうにはきゅうがくとどけをし95ねんがつからふくがくした。
けっきょくぼくこうこうそつぎょうからだいがくかようまで3ねんつきようし、だいがくかよはじめてからとししゅうねんだからさらに5ねんになる。じつに「きょういくげん」をはなれて8ねんとつにゅうしている。どうしても「みぞ」をかんじずにいられない。
せんしゅうすうせいぶつがくシンポジウムがとうだいこまひらかれた。やまぐちまさせんせいついとうめたオーガナイズドセッションで、すうがくたちからすうせいぶつがくこうけんしていらっしゃるむらせんせいが、「ろんせいぶつがくすうがくはざから」というふくだいけて2つのがくもんの「みぞ」と、そのしょうらいについてかたった。むらせんせいからろんせいぶつがくはこういうものだ。げんしょうがある。それにたいしてすうてきかいをし、モデルをてる。けいさんたすけをりてシミュレーションをおこなったりすうがくてきかいせきおこなってき、げんしょうしんかくする。そのかくなかいモデルやわるいモデルというかんがえがてきて、さいしゅうてきげんしょうみ(からくり)をあきらかにする。それがろんせいぶつがくだ。それにたいするすうがくせんけいかいせきちゅうしんつぎつぎとモデルをしゅだんていきょうしている。しかしすべてがけるわけではなくじゅんそくだとける。そこにもんだいてんいだひとつのかいけつほうほうとして、せいぶつモデルからせいぶつげんしょうほんしつうしなわないすうがくモデルをちゅうしゅつし、それをかいせきするのを「せいぶつすうがく」とぼう、とていしょうなさった。そしてそのれいとして、いくつかせいぶつモデルをしゅくやくするほうほうせつめいしたあとかたったのは、しかしほんとうは「せいぶつすうがく」というもうひとべつのものがひつようなのではなく、「ろんせいぶつがく」も「すうがく」もたがいをえつつ、あいかいしつつ、オーバーラップするところをやしていけばそれでいいのだ、とはなしむすんでいた。
この「きょういくしんがく」のさいしょこうでも、きょういくがくと(いっぱんしんがくあいだの「みぞ」にれた。その「みぞ」は「」というものをどうあつかうか、というてんにおいてしょうじる。そこにもんだいいだし、そのふたつをつなぐものとして、きょういくしんがくそんざいし、「」というてんめんせいっている、と。しかしむらせんせいことりれば「きょういくしんがく」というあらたなめいしょうせばそれでかいけつするのではない。きょういくがくきょういくがくしんはってんさせしんがくしんがくしんはってんさせ、おたがいのたち、おたがいのてんえつつかいしつつ、オーバーラップするところをやしていけばいいのだ、ということになる。「みぞ」がある、というもんだいしきったとき、そしてその「みぞ」はめなければならないものだ、とにんしきしたとき、ただそのあいだめる、ということをかんがえるのではなく、あいのこともぶんのこともよくかいし、そうかいなかみずからをはってんさせてけばいい、ということになる。
きょういくしんがくがくもんというていさいをとるじょうかんさつじっけん調ちょうなどをし、じっしょうてきはなしすすめるだろう。きょういくげんでは、もっとせいきゅうもんだいたいてきな「たいしょほう」をもとめるだろう。きょういくしんがくきょういくげんにもたしかに「みぞ」があるがする。それをめるのはやはり、あいのことをかいしながらみずからをたかめていくりょくつづけるたいだろう。
そして、ぼくきょういくげんあいだよこたわる「みぞ」もぼくきょういくげんじっさいてば、そこでげんじょうちょくし、だいがくまなんだかんがえをじゅうなんわせて、そこでのごとかいしようとつとめれば、あとはみずからをはってんさせることだけなのだ。
そのかいのためにこのこうひとつのかりになるようにはなしきテクストをみずかかんがえていきたいとおもう。





・「Ⅱ がくしゅうてい」をんで

―――じゅぎょうぜんこころておくこととして

まずだいいちに、あいらなければはじまらない。ぶんけいけんだけではあまりにせまい。いっぱんてきせいがどのように「がくしゅうする」か。どうやったらこういちばんあげられるのか。「がくしゅうする」とはどのようなていなのか。
さいわいにもじんこうのうけんきゅうするていなかでいくつかの「がくしゅうモデル」がていあんされ、そこからられるけんじっしょうてきにもけんきゅうしている。ひょっとするとわれわれそんざいたいこんぽんからうことかもれぬとおもいつつ、「がくしゅうてい」についてのけんることは、じんけいけんによる「がくしゅうかん」にたよるよりは、ずっとゆうこうおもわれる。にんげんがくしゅうかうよういんとは。がくしゅうけるたいおうとは。てきこうしんとは。そしてひとにんげんなかで、しききとそのひとしんのものになるためにはどうすればいいのか。そういったけんを、きょうだんまえっておくことははかれぬほどあることだとおもう。
だいに、じゅぎょうもとめられるのはわっていく、ということ。ぶんけてきたじゅぎょうさいせいさんすることは、ゆうこうでないどころかゆうがいですらある。ぶんという「」がつちかってきた「じゅぎょうかん」をいっぱんてきなものにするにも、にんげんがどのようにがくしゅうするか、をることはだいだ。それにもとづいて、なおだいともわるようきゅうわせたじゅぎょうさいせいさんではなく「どくそう」すべきなのだ。
さいに、ぼくらずらずのうちにいろいろな「ほうりゃく」をてき使つかってきたことをおもし、「ほうりゃく」のどう、つまりメタにん、メタおくについてさとらせたり、じっかんさせたりするのもひつようであろうとおもわれる、としてむすぶ。






・ユングのこうせいとタイプ

―――ユングの「タイプ」と「じんかくけいせい

ユングがじんかくほんてきたい(もしくはいっぱんてきたい)(basic attitude)としてまず、「ないこう(introvert)」と「がいこう(extrovert)」にをつけたこと、このことはよくられているようだ。この2つのたいが、フロイトとアドラーとをたいしたぶんせきによるものとはぼくらなかったが。

ユングの<ruby>心<rt>しん</rt>理<rt>り</rt></ruby><ruby>機<rt>き</rt>能<rt>のう</rt></ruby>4タイプ<ruby>座<rt>ざ</rt>標<rt>ひょう</rt>軸<rt>じく</rt></ruby><ruby>表<rt>ひょう</rt>示<rt>じ</rt></ruby>そしてさらにユングは4つのしんのうひょうじくとしてせっていし、この4つのしんのうそれぞれにないこうがいこうがあることから、けい8つのタイプをかんがしている。
4つのしんのうみぎ2のようにこうてきはんだんする)かんじょうきらいのようにはんだんする)かんかくげきをそれとしててきかくれる)ちょっかんげきはいにあるのうせいれる)にけられる。ここにいちおう4つのしんのうについてのせつめいもしてみたが、くわしくは、かわはやちょ「ユングしんがくにゅうもん」(ばいふうかん)(1967ねん)p.37?p.63「3 タイプ」にゆずる。
ユングの<ruby>心<rt>しん</rt>理<rt>り</rt></ruby><ruby>機<rt>き</rt>能<rt>のう</rt></ruby><ruby>思<rt>し</rt>考<rt>こう</rt>的<rt>てき</rt></ruby><ruby>直<rt>ちょっ</rt>観<rt>かん</rt>型<rt>がた</rt></ruby>の<ruby>座<rt>ざ</rt>標<rt>ひょう</rt>軸<rt>じく</rt></ruby><ruby>表<rt>ひょう</rt>示<rt>じ</rt></ruby>そして4つのしんのうのどれにおもたよるかによって、そのひとの「タイプ」をつけそうとしている。たとえばこうてきちょっかんがたひと3のようになる。ユングはしきしきたいかんがえているのでれっとうのうしゅのうしょうするけいこうについてもかんがえている。
さて、こうしてユングの「タイプ」はこうこうであるが、このけんをどうすべきか。またかれじっさいにどうかんがえていたのか。それはつぎのようである。
ないこうてきひとがいこうてきかたきょうせいさせてはいけない。またこうしゅのうひとかんじょうじゅうさせようとしてもそれはる。3のような4つののうがそれぞれのじんについてけたとして、それがけたならば、しゅのうじょのうはったつこころがけながら、れっとうのうをもかいはつしていくことである。すなわち、もととしてある、どののうたよるかというけいこうせい)はそのままにすべてののうはったつさせることである。
それがユングの「タイプ」からた「じんかくかんせい」だろうとぼくおもう。





・プロセスのしんだん

―――この1ねんかんきょうしょくもく(7もく)をかえって

すべてのきょうしょくもくは、しんせんだった。
これまでぜん(Universe)にけていた、ぼくことえば、「かみ」にけていたのに、こんかいにんげん」にてんじることになったいちねんだった。
しんがくおもしろい。
きょういくかかわったひとびとそうそうもそのしゅうへんしゃかいうごきもおもしろい。
ぼくせいしんびょういんにゅういんするほど、んでいたにんげんなのでユングやフロイトのかんがえがにしみてよくかる(ぼくかいはんで)。
このけんきゅうレポートの(ていしゅつおくれた。たんじゅんぼくが、a lazy manだからである。)さくせいかんしてだけのプロセスをるだけでは、あまりそれほどおおきなしゅうかくはないがするが、ひとことえば『「にんげん」にけたいちねん』としておおきなみのりある、(それはたしかにぶんけんきゅうをしながらこうをたくさんとってほんんだりするのはたいへんだったが)ちょういちねんだったとおもう。






こういうきょうになろう、じゅぎょうてんかいしよう、というけつひょうめいぶん

ぼくいだそうきょうぞう

ぼくのようなやくちたい。
これがぼくしんせいかつかえり、らいしゃかいいたときにいだしたこたえです。
こうこうせいころから、ぼくというじんが、しゃかいきていけるのだろうか、とおもなやくるしみました。ついにはしんけいすいじゃくしんだんされ、せいしんにゅういんするにもいたりました。
そのぶんこころみちったぼくは、カウンセリングをけたり、ほんんだりして、どうにか「こころ」とたいするコツをつかんできました。しんけいぼうあつかうのではなく、せんさいこころうコツをぶんしんこころたいめんしながらつかんできたのです。
げんざいがっこうには、せいちょうじょうで、ぶんよわさとたいけつするのがくできないどもたちがたくさんいるとおもいます。またぶんしんらいぞうや、しゃかいきている姿すがたおもえがけないどもたちがたくさんいるとおもいます。
かいぜんがくたちからかたすべきょうじゅしながら、しゅんうごこころなやせいねんを、そういった「よわこころ」のどもたちをあたたかくつつみながら、ときおりかんがかたやもののかたしゃかいしょうらいたいするあたえていく、そんなきょうとしてきょういくささげたいとねんがんしています。




ぼくかんがえる「こころのきょういく

たのしくありたい。
ぶつたのしい。もちろんほかぜんがくぜんげんしょうかたおもしろいし、れきとらえる、そうまなぶ、かいひょうげんじゅつする、そうしたがっこうまなもくすべほんらいてきたのしい。ぼくすべてのもくたのしくって、とくぶつがくれる、ぼくかんあらわれるひかりおとあじこんぽんからとらなおかいかんふかめるために、だいがくいんまですすみ、そしていま、このかたつたえたいとねがっている。
こうこうせいにもなるとのうじょうほうしょのうりょくたいおおきくなっているのに、ぶんってつべきかたおおきくらいでいるとおもう。ぶんしゃかいでどうきていくか、どうしゃかいとらえるか、ぶんかししゃかいこうけんできるのかできないのか、こころかっとうただなかだ。ぼくくるしみなやしんけいすいじゃくにゅういんもしたりした。こころはこのとくうごく。
かれらにはばんひつようだ。1つだけではりないが、ぼくぶつかたというたしかなばんかいかんあたえる。そのりょうあしっててみれば、けいたいでんやインターネットやでんレンジなどがあふれるげんだいあたらしいひかりげかけられたようにかんじるだろう。ぼくれるこころには、なにってきょうかたひつようだとおもい、ぼくぶつあたえるかいかんつたえよう、とおもう。
なにかがかった! というしゅんかんほどたのしいことはない。そのたのしさをあじわい、このよろこびをつねたいとねがい、にんげんとしてのてきのうりょくったかたふかめていこう、とするこうじょうしんまれてくれればいい、とぼくねがう。
がくてきな眼をやしなうことがひつようであり、いろいろなかたつことがせいふくがんてきかたゆたかにし、ゆたかな眼でたとき、こころなかゆたかなかいぞうられるだろう。ぼくこうこうせいこころゆたかなかいぞうえがだすけをするために、1つのかくとしたかいかたとして、ぶつちゅうしんにしてれきじんるいあゆみまでもふくむような「かた」をつたえたい、とおもう。そのていたのしいはずだし、ぼくしんたのしみたい。






かいせい ・そつぎょうろんぶん「イオンチャネルーイオンのまくとうせいつかさどぶんー」

イオンチャネルをあつかけんきゅうしつの2・3かいせいはいとうくらいのじっけんものとしてはいするとイオンチャネルにきょうかんしんをいだくがくせいてくるとおもわれる。すうモデルであつかっているぶんほうていしきは、だいがくでまずさいしょならかたちほうていしきなので、さらっとしきへんけいをしているが、ぶんほうていしきもくしゅうしていないひとには、そこのしきへんけいはつらいかもしれない。しかしものゆうせんかれていて、がくじゅつてきにもポイントをさえているので、ぜひれてもらいたい。だいがくとうきょういくけんきゅうかんには、そうりょうプラスコピーだい220えんゆずります。

M2 ・ポスターはっぴょうしょくしゃじょきょじっけんにおけるしょくしゃへのしゅえいきょう

そういえばけんきゅうかつどうもしていたんだな、とかおもう。
ぜんぶん

 せいぶつしゅあいだそうようひょうそくていするほうほうとして、あるせいぶつしゅじょきょまたはげんしょうさせて、そのじんてきかんしょうがほかのせいぶつしゅたいすうあたえるえいきょう調しらべるほうほうがある。そしてこれをもちいて、そのせいぶつしゅぜんすべきかどうかのはんだんざいりょうの1つにできるというろんがある。いっぱんに1つのせいぶつしゅじょきょすると、かんぜんにそのせいぶつしゅがいなくなるのだからぐんしゅうあたえるえいきょうじんだいだとかんがえられるが、じっさいじょきょしたときにげきてきようぐんしゅうおよぼすのは、ぐんしゅうなかでもわずかなせいぶつしゅかぎられている。ぜんかんしてえば、こうしたつよえいきょうあたえるしょうすうせいぶつしゅだけをとくじゅうてんてきにモニタリングすればよい、というしゅちょうがある。
 ところがさいきん、こうしたじょきょじっけんのデータのかたかんしてつよねんげかけるかんがえがあらわれた。いままでよわえいきょうしかないとなされていたじっけんデータのなかには、えいきょうりょくぶんさんおおきいものがあるというてきである。たしかにへいきんをとればよわえいきょうしかないようにえるせいぶつしゅについても、のデータでは、すなわちじっけんしょじっけんかいかんとうことなれば、かなりつよえいきょうがあるというてきである。こうしたおおきなぶんさんは、せいぎょしていないせいぶつしゅだいさんせいぶつしゅあるいはしゅ)からのえいきょうじょきょじっけんけているからだとしている。このようにじょきょじっけんのようなじっけんられるのは、調ちょうしている2せいぶつしゅちょくせつようおおきさではなく、ちゅうもくしていないせいぶつしゅからのえいきょうふくめたかんせつようおおきさであるというてきである。さらに2せいぶつしゅちょくせつようちいさいときには、ちゅうもくしていないせいぶつしゅからのえいきょうおおきくなり、それがじょきょじっけんけっあらわれてくることがじっけんデータのかいせきがいでのじっけんによってしゅちょうされている。
 ほんけんきゅうでは、すうてきそくめんからじょうしゅちょうしんたしかめるためにモデルをもちいてかいせきおこなった。そこではしょくしょくかんけいにある2しゅせいぶつと、ちゅうもくしていないしゅしゅだけをかんがえた。ちゅうもくしているしょくしゃしょくしゃに、さらにしゅくわえた3しゅけいにおいてしょくしょくかんけいかんがえ、そうしてられる8しゅるいのネットワークについて、モデルのうえしょくしゃじょきょじっけんおこない、それぞれについてしゅえいきょうかんがえた。そのけっしゅとのしょくしょくかんけいちがい(ネットワークのちがい)によってしょくしゃじょきょじっけんけっことなること、そしてInflow Sensitivityでひょうしたかんせつようじょきょじっけんけっとのかんれんられた。



2001ねん(28さい) ・ずいそうきゅうはん くろせんげん

さいきんほんが、いわゆる「ろんぶんレポートのかたほう」にちゅうじつなつくりをしているのとくらべると、しょく、というか、けったい。かみでのしゅっぱんはあきらめた。でんしゅっぱんならいいかなとおもう。このHPのスタイルをりゅうようしてもよい。ただしぜんぶんたいしょうけんさくができないとこまる。いろんなぶんたいするエセーがばらばらにならんでいるので、けんさくができないと、2どくしょこまる。
 しっぴつとうとうごうしっ調ちょうしょうの2あっにあたった。

ばっすい「Gods And Plays (かみがみしばについて)」

ぜんぶん

I would like you to share my pet thought about two things: gods and plays.
I believe in gods, which is not God. The gods I believe in don’t have his real and even virtual body; and so we can’t see him and hear his voice. Moreover, he may not have the slightest consciousness of the universe; he cannot know and take care of me and the other people on the earth. However, he do exist and control the Universe. So this world is flooded with a lot of the laws: the law of gravity, the laws of motion, the laws of Kepler and the laws of grammar.
I think that this is the world, which such gods govern. The Universe came into being and will disappear, following what he decided; I was born and will die, following him, as a matter of fact. That is why I shall devote my energies to the quest of truth, which will take me to him: what the Universe is like, why creatures with intelligence appeared in the Universe and where we shall go.
Anyway, the other thing I am most interested in is the stage dramas. They sound much meaner than my belief in gods, but it seems to me that they can contain the most important things in the world and that they are the cream of life.
I belonged to the dramatic society in the high school and now I long to stage my plays with old friends of mine. When I graduate from the university, I am going to mail them a letter to the effect that I will found the dramatic society they call ‘GEKIDAN KURO NO SHISHIOU’. The three titles I will give my stories are already determined; ‘Return to Innocence’ ‘Tear’ and ‘Gaia’.

(ぜんやく)
あなたにはぼくがいつもかんがえているふたつのことってもらいたいのです。それは、かみげきについてです。
ぼくかみそんざいしんじています。ところが、それはいっぱんかみさまとはことなっているのです。ぼくのいうかみには、われわれおなようげんじつにくたいかりにくたいもないのです。それでぼくらにはかみ姿すがたることもこえくこともできません。それどころかかみばんぶつたいするしきのかけらすらっていないかもしれません。かみぼくのことをらないし、にかけてもくれないことがありうるのです。きゅうじょうのいかなるひとびとたいしてもそれがてはまります。けれども、かみたしかにそんざいし、ちゅうせいぎょしています。だからこそ、このかいはたくさんのほうそくあふれているのです。じゅうりょくほうそくうんどうほうそく、ケプラーのほうそくそれにぶんぽうなどです。
ぼくはこのかいはそのようなかみはいするかいだとかんがえています。ちゅうかみめたことしたがって、しょうしょうめつしていきます。ぼくかみうしろをいかけ、まれんでいきます。とうぜんのことですが。そういうわけぶんちからしんたんきゅうのためにささげます。そうすればかみちかくことができるからです。このちゅうはどんな姿すがたなのかとか、のうったせいめいちゅうしゅつげんしたかとか、ぶんたちがどこへくのかといったたんきゅうです。
ところで、ぼくのよくかんがえているもうひとつのことはたいえんげきことです。そんなものはぼくかみしんじていることくらべれば、はるかにくだらないことのようおもわれるかもしれませんが、しばかいなかもっとじゅうようなことをあつかうことができ、じんせいもっともおいしいぶんだとぼくにはおもえるのです。
こうこうせいときぼくえんげきしょぞくしていました。いまではぼくきょくとうともだちいっしょじょうえんしたいとねがっています、だいがくそつぎょうしたら、「げきだんくろおう」をせつりつするというむねがみともだちおくりたいとおもいます。ぼくきょくの3つのひょうだいすでまっているのです。「Return to Innocence」に「Tear」に「Gaia」です。


ばっすい (ていてい

りょうようちゅう)  やまいにこころあり

2004ねん(31さい) ・しゅうきずつくは やさしんだ」(やさしいあいうた

さくひんせつめい

きずつくは やさしんだ」というタイトルの6こうせい77へんからなるしゅうです。ひとひとつのげるとふかみのないたちかもしれませんが、77へんわさってかいのさまざまなようそうすくることにちょうせんしています。たとえていうと、パレットに15しょくとそれらのこんしょくがあるのに、1へんさくひんなかでは、たんしょくしか使つかっていないのでひょうげんたんぱくえるかもしれませんが、77へんわさると、あらゆるしきさい使しているようなしゅうになればとへんさんしました。

ぼくじんせいかつえたところのへんてきわかかんじょうを、ねんぱいかたからてもらってもなっとくできるようなかたちで、というひょうげんせようとしています。なやみのふかかったこうこうせいぼくしんたいしてとどけばいいとねがっています。わかかったぼくしんたいするすくいのメッセージが、ほかだれかのかわきをいやすうたしゅうとしてとどけばとねがっています。

けいしきとくちょうとしては、へんそく57調ちょうぼくめいめいしたけいしきおおさいようしています。せいそくというのを575757とかえすものとすれば、へんそく57調ちょうは、5555や、7777のしゅつげんもとすというすこしゆるいルールにのっとったけいしきです。

このしゅうのイメージカラーはんだあおいろです。このしゅうわっただれかがふとそらげて、そこにいつもとわらずぼくらをやさしくつつんでくれる、あおきゅうかんじてもらえればさいわいです。

もく

しゅうきずつくは やさしんだ」(やさしいあいうた

きずつくは やさしんだ
きずつくは やさしんだ / しょとう / とうぎて / ひかりびて / なんでだろうね / あるエイプリル フールのに / あさ / ブタ / ぎたるは / にっ / ふたつがみ(ふたつがみ) / そんなちで / あじさい / うちのじょうしき / シンプル / このなつ

よきかな
ゆれながら かんがえながら エリクソン / よきかな / もまた / つらよろこび / かしこきる / そうこうせいちゅう / こころやすんぜよ / あなたにう / ようは・・・ / ありがたみ / てん / もうこう / さききるひと

あの
こくべつ / あの / ほからかに / しあわせに / まことこころしんたのむ / こころのままに / サイクリング / みみ / あのとき / かってください

あのために/しゅだい
なぜにして そうまでにして / きょう / ぼくしんじんせい / こうりつ / ぼくぶんかっじんてきもくひょうのために / しゅだい / ほろびのとき / かんりょうけい / にんげんなのだから / ぼくにでも できること / デジャブ / まなんでごらん / ぼくせきにん / あのひと

じゅうななさい
じゅうななさい / くらやみなか / しょうねん / かたりえること / おほしさま / どこにいるのか / じんせいを つかそこなう そんなとき / ”生せい” / ぼくしん / へいきん / あせり / イチロー / 

ぶん
ぶん / かみ / しん / どくしょ / ことわり / ことば / げんせつ / アブチネムドじん / でんとう / しば / りきがくけいとはへんせんである / ありありあれり


しゅうきずつくはやさしんだ」 (やさしいあいうた
まいサイト「おかぎりの / ほんさん (きょうさん ふじしょうてん)」:しゅうきずつくはやさしんだ」(やさしいあいうたにてはんばいちゅうです。



    ・しょうせつ「さゆりさんへのがみ

げんざいぼちぼちしっぴつちゅう

しっぴつてい ・しょうせつ「だるまさん3さく

「だるまさんがころんだ ―Return to Innocence」
「Tear ―DARUMASAN GA KOWARETA」
「Gaia ―だるまさんがやってきた」きさらはるささ

    ・ずいそうしんぺん くろせんげん

(テーマごとにへんしゅうしなおしてだんぺんてきじゅつぶんしょうにしたもの)







<ruby>慈<rt>じ</rt>愛<rt>あい</rt></ruby>に<ruby>満<rt>み</rt></ruby>ちたお<ruby>月<rt>つき</rt></ruby>さまが<ruby>優<rt>やさ</rt></ruby>しい<ruby>詩<rt>うた</rt></ruby>・<ruby>愛<rt>あい</rt></ruby>の<ruby>詩<rt>うた</rt></ruby>・<ruby>優<rt>やさ</rt></ruby>しい<ruby>愛<rt>あい</rt></ruby>の<ruby>詩<rt>うた</rt></ruby>をささやく

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さいもんさんの、ほんわかとやさしいあいつつまれた、すばらしきていせいかつ  
さいもんさんの、ほんわかとやさしいあいつつまれた、すばらしきていせいかつ   やくそく   こまかいおやくそく   まずしいひとびとのために   ちゅうとうへいのためにかんがえたそう  
クーラン(コーラン)からの引用